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五行歌?

 投稿者:百楽天  投稿日:2008年12月15日(月)23時54分45秒
返信・引用 編集済
  > No.14[元記事へ]

 かつて、九州で贋者の五行歌創始者が現れたことがある。
 福岡在住の五行歌人への度重なる攻撃があった。
 その贋者の五行歌創始者が、あろうことかY新聞に顔写真入りで紹介された。
 大問題になりましたね。

 「短歌を5行で書くのは、江戸時代からあった」

 などと、彼はいう。

 冗談じゃない。和歌を散らし書きで書いたとき、五行のようになることは多々あった。

 しかし、今日われわれが五行歌で書くような書き方ではなかった。

 明治になっても、活字では行頭そろえになっていても、筆では散らし書きされたものが多かった。


           要吉
    諦めの旅では
          あつた
       磯の先の
      白い燈台に
     日が映(さ)して居た


 鳴海要吉(1883~1959)の代表作である。
 
 

五行歌、かな

 投稿者:百楽天  投稿日:2008年12月15日(月)23時51分45秒
返信・引用 編集済
  > No.13[元記事へ]

 和歌を散らし書きで書いたとき、五行のようになることは多々あった。

 しかし、今日われわれが五行歌で書くような書き方ではなかった。

 明治になっても、活字では行頭そろえになっていても、筆では散らし書きされたものが多かった。


 下記は、散らし書きの書き方のひとつで、「五行木立の藤花様」という


  からころも
   きつゝなれにし
    つましあれは
     はるきぬる
      たひをしそおもふ


 「分秀様」では、

  かすかのにわかなつみつゝ
     きみか代をいはふ
      こゝろはかみそ
           しる
           らん


 散らし書きを、行頭揃えにすると、
 

散らし書き

 投稿者:百楽天  投稿日:2008年12月15日(月)23時34分56秒
返信・引用 編集済
  > No.12[元記事へ]

 筆で書かれた歌で5行書きになっているものは、昔からある。

 伝藤原行成(天禄三年/972〜万寿四年/1028)筆

  夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを雲のいずこに月隠るらん

 模写した図版を見ると、ひらがなの「な」は、「那」というように漢字仮名になっている。

 な(那)つのよは(八)まだ(多)よひな/か(可)らあけぬるをくも(毛)/のいつこに(耳)/つき(支)か(可)くる/らん


     那つのよは八まだ多よひな
        可らあけぬるをく毛
            のいつこ耳
            支可くる
              らん




 改行は、歌意どころか音読しようとしても音のつながりさえも寸断する。さらに、二行目と三行目は重なるように書いている。
 これでは書を「読む」という機能はない。
 行によって「呼吸」を表現する五行歌とは、まったく異なる。
 

バランス

 投稿者:百楽天  投稿日:2008年12月15日(月)23時26分10秒
返信・引用
   縦書きの五行歌は、散らし書きと違い1行を1句として、行頭揃えで書く。

 よく似たものがあった。
 

「忠臣蔵で江戸を探る脳を探る」

 投稿者:百楽天メール  投稿日:2008年12月13日(土)22時36分29秒
返信・引用 編集済
   今まで全国誌などにいくつも寄稿してきた。なかには大ヒットしたものもあるが、「忠臣蔵で江戸を探る脳を探る」は、10年経った今でも尾をひいている。

 平成10年から11年まで「TOWNNET」に24回連載。
 五行歌の会の同人だった小笠原さんは初回から読んでくださり、NHKドラマ部のエグゼクティブディレクター大川さんに引き合わせてくれた。

 そのおかげで、「忠臣蔵で江戸を探る脳を探る」に書いたことや、ボクが入手した史料がNHK大河ドラマ「元禄繚乱」にも使われた。
 また、大河ドラマと並行して「忠臣蔵で――」のなかに、大河ドラマのダイジェストと解説も書くことにもなった。

 さらに、「忠臣蔵で――」に書いた「刃傷事件」の部分、「梶川日記」の現代語訳と解説は、市川市歴史博物館の古文書講座の教本のなかで使われた。


「TOWNNET」はタウン誌とはいえ、「忠臣蔵で江戸を探る脳を探る」の連載が完結した時点で、通巻300号(月刊)を超えた。

 同誌のエリアは、常磐線沿線(金町・松戸・柏・我孫子・取手・牛久・土浦・その他周辺の市/流山・野田・市川など)。東京、千葉県、茨城県をまたぐ広域エリアを対象としているが、そればかりでなく、北海道・秋田・神奈川・埼玉・広島など各地に定期購読者を持ち、発行部数5万部を超えていた。全国誌に比べれば発行部数は少ないが、毎回8ページほどで長期連載ともなれば、効果は大きい。

 編集・発行人の健康上の理由から惜しくも一昨年廃刊になったが、エリア内の図書館や協賛していた上場企業の広報部署には、過去に出たものが保管されている。
 

Re: 忠臣蔵史跡事典

 投稿者:百楽天メール  投稿日:2008年12月13日(土)22時07分44秒
返信・引用 編集済
  > No.9[元記事へ]

 なんと、『忠臣蔵史跡事典』には、財団理事長が書いた「あとがき」の謝辞の最後に、百楽天の名が。

 本を出すのは誰でもできるけど、謝辞に名が載るというのはめったにない。
 ボクもこれで3回目です。
 

忠臣蔵史跡事典

 投稿者:百楽天メール  投稿日:2008年12月13日(土)22時04分21秒
返信・引用
   中央義士会100周年を記念して出版された『忠臣蔵史跡事典』です。  

Re: 100年祭

 投稿者:百楽天メール  投稿日:2008年12月13日(土)22時00分55秒
返信・引用
  > No.7[元記事へ]

 久しぶりに会った寺坂さんと。
 小久保さんも会ったことのある、寺坂吉右衛門の末裔です。
 

100年祭

 投稿者:百楽天メール  投稿日:2008年12月13日(土)21時58分38秒
返信・引用
   10月18日(土)
 東京ドームホテルで行われた中央義士会百周年記念パーテーに招待されて行ってきた。

 写真は、豆田赤穂市長、中島財団理事長と。
 

もう一枚

 投稿者:百楽天メール  投稿日:2008年12月13日(土)21時30分56秒
返信・引用
  > No.5[元記事へ]

「芥川」の文字、読めるかな。
 明治になって、龍之介は生まれてまもなく母方の実家である芥川家に。
 のちに養子となる。

 元禄十四年の、あの刃傷事件がおきるまでは赤穂浅野家の上屋敷があったところで龍之介は生まれ、すぐに本所小泉町(貞享四年から明治になるまでは、通称・御台所町)の母の実家に預けられた。
 小泉町の芥川家は、元禄十五年に討入事件があった吉良屋敷のすぐそば。
 

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