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内山さんへ

 投稿者:倉谷  投稿日:2017年 6月22日(木)08時49分11秒
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  丁寧なご返事ありがとうございます。
立派な隊長さんをなくされて失意のところ申し訳ありません。
左端のかたついに探しつけました。6年前のうすら覚えの名前をネットで検索しましたら、南日本新聞の記事が出てきました。人違いかも知れないとお断りしながら手紙書きました。ついに昨日本人から電話ありました。近くお会いする(登山の)約束しました。
ありがとうございました。
 
 

隊長の写真

 投稿者:Shimo  投稿日:2017年 6月21日(水)20時04分53秒
返信・引用
  先日投稿しました、隊長が写っている思い出写真のURLですが、今週一杯で投稿を削除します。
実際のリンク先はもうしばらく(四十九日頃まで)置いておきますので、まだゆっくり見たい人はとりあえずURLのみでも控えておいてください。
 

倉谷さんへ

 投稿者:UKR  投稿日:2017年 6月21日(水)18時35分0秒
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  丁寧な書き込みありがとうございます。顧問の内山です。
写真の一番左は伊佐市の〇さんで、80歳をとうに超えてもとてもお元気な大先輩です。
掲示板に許可なく名前を出すのは控えたいと思いますので、管理人さんにお問い合わせください。

 

初めまして

 投稿者:倉谷  投稿日:2017年 6月21日(水)12時34分19秒
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  初めまして倉谷と申します。
屋久島で遭難された山田かな子さんはもしかしたら、人違いかもしれないと思いあちこち電話しました。伊佐市内の葬儀場を片っ端から電話して葬儀を知り、参列。間違いなく私の知ってる山田さんと確認しました。出会いは2007年カンボジアの鹿児島県出身シニアボランティアの視察訪問に同行、その時に山が趣味ということで2006年由布岳、栗野岳に同行登山しました。そのご音信不通でした。儀場の入り口に置かれた彼女のカメラに見覚えがありました。登山靴はまだ濡れていました。なんども取り上げて言葉をかけました。南日本新聞で山楽会の存在を知りました。今回の事故の報告書を作成されるとのこと勇気ある行動に敬意を表します。また弔いの登山がありましたら同行したいと思います。私はUターンで吉野に住んでいます。関東では山の会に参加してましたが、今は無所属でもっぱら単独登山してます。80歳前にまだまだ登る気はありますが、最近は平地でのゴルフや野良仕事に熱中してます。皆さまよろしくお願いします。写真の右が小生でかな子さんの知人の左の方はどなたでしょうか?ご存知の方は教えてください。連絡取りたいです。
 

追悼

 投稿者:秋吉  投稿日:2017年 6月20日(火)14時46分12秒
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  ”石楠花の散華となりて屋久の島”
田中さん、今回の屋久登山のリーダーお疲れ様でした。下山後は温泉に入って7人揃って一緒に帰りたかったです。残念で悔やまれてなりません。田中さんとは福岡からのとび入りで、快く山仲間として受け入れていただき、一昨年の北海道大雪山の低気圧の猛襲忘れがたい思い出です。また、昨年の夕張山荘では五右衛門風呂にも入り、二人で酒を酌み交わしてじっくりと山の話を聞かせていただきました。数々の思い出ありがとうございました。この7月には3度目の北海道をご一緒するのを楽しみにしていましたが・・・残念です。安らかにお眠りください。
 

追悼登山

 投稿者:UKR  投稿日:2017年 6月19日(月)22時57分51秒
返信・引用
  現在事故の報告書を作成中ですが、未だに信じられない気持ちです。
今後1か月程度活動をお休みして、その後でお二方の追悼登山をしたいと考えています。

時期は梅雨明け後の予定で、決まり次第予定表に上げますのでお待ちください。
今のところ場所は田中さん達の整備した大幡山や獅子戸岳方面でしょうか・・・
その際の追悼企画で何かアイデアがあれば、お知らせください
 

山楽会山行

 投稿者:富重  投稿日:2017年 6月19日(月)12時10分43秒
返信・引用
  この一週間、可笑しいことがあっても、ふっと顔がはれたように感じて、次に連続する可笑しいでき事に笑えなくなる。

山楽会につどう私たちは、みんな、絶対的に同時代だと思っていました。

何歳であってもそれぞれの年齢のままこの同時代を生き、一緒に生き抜くはず。

一か月に数回しか会わないけれど、会う場所は山で、それが日常よりもリアルな自分本来の場所で、神様もじゃまできない。

山に身を置く幸せを教えてくれた隊長を私たちは決して忘れないでしょう。

私たちは山行しか隊長に恩返しできません。

登山口から下山口まで、ずっと、隊長には笑顔しか見せられませんね。
 

私が撮った田中隊長

 投稿者:gatano  投稿日:2017年 6月18日(日)22時12分34秒
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  今年の一月末、高千穂の峰頂上で採火式があった日、高千穂河原から一人で登りました。早目に着き主役の一行を待っている所に現れて下さいました。『おぅ、がっちゃん!』『隊長に会いたくて待っていましたよ。』
長年に渡り山行をご一緒させて戴いても、言葉を交わした記憶は最初で最後の会話になりました。20年前私を置いて先に逝った夫を探して、私は元気だと伝えて下さい。
 

下簗さんありがとうございます

 投稿者:大迫  投稿日:2017年 6月18日(日)21時09分59秒
返信・引用 編集済
  隊長の思い出写真。ダウンロードさせて頂きます。
全ての写真かっこいい隊長です。
 

隊長が写っている思い出写真

 投稿者:Shimo  投稿日:2017年 6月18日(日)16時28分42秒
返信・引用 編集済
  皆さま、弔辞の件につきご理解いただきありがとうございます。
少しずつではありますが、気持ちの整理がつきつつあります。

この土日、過去の写真を目繰り返し、隊長が写っている写真をまとめてみました。
選択基準はあくまでも隊長が写っている写真です。米粒程のものもありますが、一緒に写っている方々の隊長との思い出を手繰るよすがになればと思います。
下記URLをクリックしてみてください。624枚あります。

https://goo.gl/photos/gkCArEJiFEQGaQio6

コメント等は一切つけていませんが、アルバム内の写真をクリックして拡大した後、「i」のマークをクリックすると撮影日時等が表示されますので、いつの山行かは判断できると思います。また写真にGPS情報が入っているものは地図も表示されます(Google map)。

Google photoゆえ少々圧縮されてはいますが、掲示板の写真よりははるかに高画質ですので、お好きな写真があればご自由にダウンロードして鑑賞(感傷?)もしくは印刷してください。

写真の順序については古い順に並べても何故か一部入れ替わってます。今のところ原因はわかりません。

あ、言うまでもないことですが、私はほとんど写ってません。不本意ながら三男はやたら写ってます。
 

哀悼

 投稿者:naka  投稿日:2017年 6月17日(土)20時26分9秒
返信・引用
  田中隊長そして、山田かな子さん・・心よりご冥福お祈り申し上げます。  

その人なりの弔辞を胸に!

 投稿者:maru.jun  投稿日:2017年 6月17日(土)13時02分23秒
返信・引用
  そうですよね、弔辞(お別れの言葉)はその人なりに心の中に独自の思いがあるのですよね!
私は年齢から宿泊を伴う山行は迷惑を掛けまいとして、田中隊長と一緒することはなかったのですが、それでも一日山行の中でもいろいろ感動・教示を戴くことができました。
最近では、昨年11月12日「紅葉の霧島川周回」、12月3日の1泊の忘年会登山、3月19日鵜戸山地の郷谷山・谷之城山など私なりの思い出が沢山あります。
もう連れて行って貰えない。残念でなりません。
霧島のあの「トロッコ道」をなんのために敷設されたか調べてほしいと言われことも懐かしい。
今からじっくりと登山手帳をめくり、隊長との思い出に耽りたい。
下梁さん、むちゃぶり失礼しました。
 

無題

 投稿者:IT  投稿日:2017年 6月17日(土)11時51分52秒
返信・引用
  弔辞ほど辛いものは有りません。依頼され固辞しても、渡された奉書用紙を
手にして、筆は進まず文字は涙で滲むばかりです。遺影の前では惜別の苦しみで
読めません。 弔辞はお棺の、胸にしっかり納めて天国で読んで頂きます。
どうしても想い・偲びたい方に、デジカメの動画の手法を記しました。
撮るのではなく、内ポケットでレコードします。 念の為
 

「弔辞」のこと

 投稿者:やどろく  投稿日:2017年 6月17日(土)08時51分50秒
返信・引用
  あの感動的な弔辞は、しもさんの隊長への惜別のお気持ちであったとの
率直な表明がありました。
わたしたちの気持ちも代弁していただいたようで、感動し感謝しておりましたが、
しもさんが敢えて表明されたそのお気持ちを汲み、お心の内に踏み込むことなく、
各人の胸の内にしまっておく方がよさそうに感じることでした。
有難うございました。
 ちかじか、また、山に出かけます。
 

弔辞掲載依頼について

 投稿者:下簗利徳  投稿日:2017年 6月16日(金)18時15分20秒
返信・引用
  弔辞の掲示板掲載のリクエストを頂いています。
私の弔辞を褒めていただけるのは大変光栄なことです。

ただ、あの弔辞は私が隊長への思いに区切りをつけるために、小枝子さんにお願いしてわざわざ組み込んでもらったもので、皆さんにお見せするつもりで書いたものではありません。

もちろん山楽会の皆さんの気持ちを代弁できればという気持ちもありました。
でも弔辞は告別式のためだけのもので、弔辞自体も棺に入れさせて頂き、隊長に持って行ってもらいました。

従いまして、先輩方の要請ではありますが、掲示板への掲載については辞退させていただきたく、ご了承願えれば幸いです。

私自身、あの弔辞を書きながら何度も涙しました。でも本当に僭越なことと思いながらも隊長の遺影に向かって読ませていただいたおかげで、やっと隊長との別れを受け入れることができたような気がしました。

またこれを書きながらも涙は頬を伝わります。でも告別式より前の悔し涙とは違う、なくしたものを懐かしむ涙に変わっているように思えます。

それにね、あの場面で聞いたからいい弔辞に聞こえただけですよ。山で食べるメシが美味いのと一緒です。普通に読んだらなんてことない文章です。それに改めて読まれること自体ちょっとこっぱずかしいです。動画で再生されるなんぞ背筋が凍ります。勘弁してください。
皆さん、それぞれ御自身の気持ちを込めた弔辞を作成してくださいませ。

みんな前を向いていきましょ。隊長もそれを望んでますよ。
 

巨星墜つ!

 投稿者:IT  投稿日:2017年 6月16日(金)17時48分34秒
返信・引用
  まさに痛恨の極みです。山を愛する者の大きな存在を失いました。
これからは高いところから、私達を見守ってください。
田中さん ありがとうございました。ご冥福を心から祈ってます。
山楽会の皆様と、お別れ会場でお会いするとは思ってもいませんでした。
失礼の段ご容赦ください。  追記 弔辞の件、デジカメの動画撮影で
録音可能。メモリー 4~8GBで十分です。
 

想い出の写真

 投稿者:Ikeda  投稿日:2017年 6月16日(金)17時18分57秒
返信・引用 編集済
  上:穂高涸沢ヒュッテ2015.9  ,中:裏銀座 2007.8 ,下:裏銀座烏帽子岳付近2007.8  

遭遇、おしどり夫婦 追伸

 投稿者:やどろく  投稿日:2017年 6月16日(金)09時58分1秒
返信・引用
  私も、marunoさん 大迫さん そして、おそらくその他多くの方々と同じ気持ちです。
しもさん、「弔辞」を掲示板にお願いしたく思います。
文字だけでは、当日のしもさんの声による訴えには及ばないかもしれませんが、
心情は十分に伝わると思います。
都合で参列できなかった方々の為にもぜひお願いしたく思います。
 

遭遇! おしどり夫婦

 投稿者:やどろく  投稿日:2017年 6月16日(金)09時45分45秒
返信・引用
  H24・3・20 曇天 大浪古道~新床キンマ道~新床 + えびの岳を一人で歩いた。
 目的は、最後のえびの岳のマンサク(山友に聞いてはいたもののまだ見たことがなかった)。
 県道一号から上がりあの岩の上でキョロキョロしてもマンサクは見当たらず。
 先に進んでいると、前方から、いつものにこやかな隊長がチョ子さんと見えた。
 隊長がこんな低山に? と思いながら、挨拶もそこそこに、
 「マンサクが見つからんですがよ」と問うと、「もちょっと先っのほ じゃっど」と。
 私は、引き返さずに山頂へ。 お二人は見かけられただろうか、と思いながら、
 下山して芝生広場に出ると、真ん中のベンチで、お二人はにこやかに弁当中でした。
 「食べて行かんね!」とは言われませんでしたが、その光景はまさに おしどり夫婦!!
 少し遠巻きしながら、先を急ぎます、と失礼した。
 後で山友にその話をすると、チョコさんが元気になられて、山を歩き始めの頃だった
 ようです。一番喜んでおられたのは隊長だったのでしょう。
 下さんの「弔辞」に盛られていたように、そのころ隊長の落ち込み様は
 相当なものだったようなので、、、、ひとり勝手に想像することです。
       田中隊長のご冥福を 心からお祈り申し上げます。
 

田中隊長 さようなら

 投稿者:大迫  投稿日:2017年 6月16日(金)09時44分37秒
返信・引用 編集済
  田中隊長

行方不明の第一報に大丈夫。隊長ならどこかに避難していると思っていましたが、翌日のニュース速報に愕然とし、信じられませんでした。

どうしたんですか? あんなに山の事に詳しくて、力強く頼りになる方が・・・。

50代 隊長に褒められると嬉しくて毎週毎週隊長の後にくっついて必死に山登りしていました。
苦しさも、楽しさも、発見も、喜びも、感激も、達成感も・・・教えていただきました。

いつもは、朴訥で小さい声ではにかんだような隊長。飲むと嬉しそうに沢山お話して下さいました。

60代後半 隊長の泊の企画には付いていけなくなりました。
今年は、3回しかご一緒していません。
大好きな黄色の花福寿草とマンサクを愛でる山でした。

今年の誕生日にはFacebookにおめでとうと 小さい花束を手で握ったイラストを頂きました。
嬉しかったです。

お別れしがたくお通夜と告別式に伺いましたが、隊長のお人柄や功績に大勢の方が駆けつけ本当に残念に悲しんでいました。

隊長 ありがとうございました。

小枝チョコさん 悲しみは如何ばかりかと計り知れません。お身体をお大事になさって下さい。


私の拙い文ではとても気持ちを表す事が出来ません。
是非、下簗さんの弔辞を掲示板に掲載して頂きたいです。
 

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